絵を描きたい人にとって、公募団体はときに「学校」としての顔を持つ。志を同じくした仲間と集い、技術を学べる場所を持つことは、単に展覧会に作品を発表する以上の意味がある。「生涯在籍の美術大学」のテーマを掲げる旺玄会に、最近の取り組みと展示企画を聞いた。
学びには長い時間が必要
「絵を描くことは、一朝一夕にできるものではありません。そこにこそ、公募団体の役割があります」と語るのは、旺玄会で常任理事を勤める片山聖三だ。「仮に美術大学で博士課程まで進んだとしても9年。しかし公募団体では生涯をかけて学び続けることができます」。
定年退職などを契機に、若い頃あこがれていた芸術活動への熱意が再燃、描き始めるようになる人は多い。気力、体力の充実したシニア層は、旺玄会でも活発だ。一方、現役の若い美大生でも公募団体に入ることには意味があるという。「大学では短い期間に多くのテクニックを身に付けることに重きが置かれがちです。制作環境のデジタル化が進み、覚えることは多くあります。しかし絵の善し悪しは、技法の新しさとは違います。むしろ時代を越えて人の心を打つものこそ、目指すべきです。旺玄会ではそのような精神のもとで、仲間との切磋琢磨を生涯続けます」。
絵を描くことは、一生を通して続くプロジェクトだからこそ、ずっと学び続けられる「学校」が必要になる。旺玄会はそのような受け皿を目指す。
「学びの場としての公募団体であるために私たちが重視しているのが、地方での活動です。定期的な写生会、また作品を持ち寄っての講評会、そして新しい技法の研究などが活発に開かれています。それら各地での研さんが実を結ぶのが、毎年開かれる旺玄展です」。
話を聞いた常任理事の片山聖三
片山聖三《紫の匂へる妹》油彩 F100号
小品に見る作家の横顔
今年(2016年)に82回を迎える旺玄展は、東京都美術館で5月22日から開催される。募集部門は洋画、日本画、版画の3部門。今回から版画にはデジタルアートを含むとして募集することになった。これまでデジタル作品の応募はそれほど数多くないものの、正式に募集項目に記載されることで、どのような作品が集まるか楽しみだ。
また、新しい試みとして「小品に見る作家の横顔」と題した企画展を同時開催する。
「来場者の方から、『どうして公募展は大きい絵しか飾らないの? 小さい絵にもいいものはあるのに』という声を聞いたのがきっかけです」と片山は語る。
同じ作家でも、大きい絵と小さい絵では、モチーフも技法も変化することがある。そのような作家の美意識の多面性を紹介することが趣旨だ。本展に出品している作家の50人ほどが小品も手がけ、会場内の企画室に展示する。同じ出品者による大小の作品を見比べられる趣向が面白く、描き慣れない人のための、入門的な小品展ではない点に、旺玄会ならではの姿勢を感じさせる好企画ではないだろうか。
さらに翌2017年の83回展からは、別の話題もある。会場が東京都美術館のロビー階に移るのだ。これは東京都美術館に提出する5年ごとの使用審査で、これまでの活動が評価されて会の希望が承認されたためだ。
理事長の松田敬三は「新しい会場は、美術館の入口から近い、人の流れの多い場所です。大作から小品まで、質の高い総合的な展覧会のあり方も模索しつつ、いっそうの活動充実をはかりたい」と意気込みを語る。
絵を描くことに真摯に取り組み、さまざまな試みを打ち出す旺玄会。「入学」を検討してみてはどうだろうか。
理事長の松田敬三
松田敬三《怒 濤》油彩 F120号
斎藤寅彦 《 時の跡-イソヒヨドリ 》 P150号
勝俣睦《 山麓に咲く花、菜の花(左)、桜(右) 》パステル 40号
小花春夫《未来の予感》デジタル P100号
(取材・構成=竹見洋一郎)
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